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赤地白覆輪 八重咲き 筒しべ 中輪
華やかな雰囲気の花だけど 今年は白覆輪の幅が狭い。
昨年の 「玉のかんざし」
「玉の浦」も年によって幅が違うので またいつか くっきりとした白覆輪の花が咲く年も来ることだろう。 多分。
一子侘助 : 濃紅 一重 筒咲き 侘芯 極小輪
「一子侘助」という名札付きで買ったのに 小さな白斑が入っている。
たくさん着いた蕾にも 白斑が見える。
浄安寺さんで拝見した「一子侘助」は 紅色無地の花だった。
元気に育っている「一子侘助(?)」を見ながら もう一本買おうか止めようかと迷っている。
二輪目が咲いた。
小さいけれど よく咲いてくれるので嬉しい。
朝は冷えたが晴れたので 乾いている鉢に水遣り。
夜だけ部屋に取り込んでいるツバキの鉢を 外の棚に並べて日光浴。 ツバキは寒さに弱い訳ではないけれど ほころび始めた蕾が風や霜で傷むと困るので 撮影が終わるまでは ちょっと過保護。
年賀状の投函や お鏡さんの注文を済ませた。
お正月用の食材の支度は まだちょっと早いが 新型インフルエンザ対策の備蓄は少しずつ買い集めている。
マスクやうがい薬などは早めに買った。
地震などと違ってライフラインが切れる訳ではないが 発生すると買い物に出るのが危ないので 「二週間分の備蓄」が必要らしい。
お米や日用品は買い置きでしのげそうだが 缶詰やレトルト食品、カップめんなどと 野菜ジュース、スポーツ飲料、粉末スープなども集めた。
こんな備蓄が役立つことがない方がいいのだけど。
オレンジ色のサニーブライトもたくさん咲きだした。
挿し芽でよく増えるので嬉しいのだけど 寒さに弱いので夜には部屋に取り込んでいる。
部屋中 鉢で一杯になり これ以上増やせない。
朝から晴れて風が無いので暖かかった。
部屋の洋ランなどを庭に出して ジョウロでたっぷりと水遣り。
日向ぼっこをさせて水を切り 4時頃には部屋に戻す。
鉢を持ってウロウロ動いたので かなり疲れた。
ツバキの写真集の注文も終わったし 織部灯籠のアップも終わった。
明日は雨の予報なので 年賀状作りに取り掛かる予定。
毎年同じパターンのデザインだけど 並べる花は今年の画像を使いたい。
選び出して 画像を作って・・・いろいろ作業しなければ。
昨日で全部の画像をアップし終えた。
昼過ぎから「見本PDF」を作ってみたが 何故か1ページに収まりきらない画像があり その修正に手間取った。
同じサイズの画像を同じ様にアップしたつもりなのに どうしてなのかが分からない。
改行を削除しても 1枚だけ2ページになってしまう物が残り 画像の高さを減らして ようやく収まった。
なんとか表紙も決めて 製本を依頼するところまでこぎつけた。
本当は「上製本」というのにしたかったのに 150ページ以上でないと出来ないようで 私の本は110ページ。 残念。
次に作るときは 150種以上集めて 「上製本」にしよう!
今朝 銀行振り込みで入金も済ませた。
ATMの順番を待ちながら「きちんとできるかしら・・・」と メモを見ながら不安そうにしていたのが見えたのか カウンターから行員さんが出てきて ほとんどの操作をしてくださった。 よかった~
最近 電車で席を譲られたり いろいろ親切にされることが多く 嬉しく思っていたが・・・
ある朝 気がついた。
鏡の向こうに シワの多い老婆が見えた。
優しく労わられるのは このシワのせいに違いない。
毎晩マッサージをするようになったが シワが減ることは無い。 笑うと特に目立つ。
笑わないようにしよう! というわけにもいかないし・・・
岩上通り(堀川の一本西)四条下る西側にある 町屋風の建物。
「南蛮寺跡 キリスト教文化資料館 フランシスコの家」
その前に立っているのだから 間違いなく キリシタン灯籠。
この付近には元々 妙満寺というお寺があったが 1583年に秀吉により寺町二条に移されていた。
その跡地を 秀吉からフランシスコ会に与えられたのは 1593年。
教会の他 修道院や病院も建てられて 付近にはキリシタンたちが住むようになった。 その土地は 「だいうす町」と呼ばれ 教会は 「南蛮寺」と呼ばれた とのこと。
「フランシスコの家」 の前に立つキリシタン灯籠には 手足のある人の形なのか ケープかガウンのようなものを着た人なのか これまで見たキリシタン灯籠とは全く違ったレリーフがある。
左右の膨らみの部分には何も彫られていない。
火袋の左は丸形 右には三日月形の窓が見える。
天神さんは学問の神様だけど 境内にある大黒さんの石灯籠は金運のご利益が有る らしい。
大黒さんの頬のえくぼに小石を乗せて 上手く止まった小石をいただいて財布に入れておくと お金が増えると言われている。
欲張って大きめの石を乗せたら 落ちるばかり・・・ 大金には縁が無いらしい。
ごく小さな石が止まったので いただいて財布に入れておいた。
金運を願う人が多すぎて 大黒さんのえくぼが妙に大きくなっている。
三光門の東 キリシタン灯籠の向かい側。
三光門をくぐった右手にある 渡辺綱の石灯籠 立派な銅板ぶきの屋根で守られている。
渡辺綱は平安時代中期の武将。 一条戻り橋で鬼を退治できたのは北野天満宮の大神のおかげ と石灯籠を寄進したと伝えられる。
現在の石灯籠は鎌倉時代のもので2代目。
大きな楼門の左右に立つ青銅の灯籠。
延寶五年(1677年)というから 300年以上前のものなのに とても綺麗。
三光門の手前を右(東)に曲がると左手に 織部型石灯籠が見える。
「マリヤ像の彫刻あるにより 俗にマリヤ灯籠 切支丹灯籠ともいう」
立て札に書かれていた。
「俗に言う」 キリシタン灯籠に間違いない。
前には 火障りと言うより灯籠自体を隠すようにナンテンが大きく育っている。
火袋の正面は四角 左面には丸 右面には三日月形の窓があり 実際に火を灯されるためか 風除けにガラス障子がはめ込まれている。
障子が外れないように セメントのようなもので周りを固めてあるので 三日月が 大きな口を開けて笑っているようにも見える。
竿石にはマリア像のレリーフが見えるが ふくらみ部分には何も彫られていない。
レリーフがマリア像と言われ 織部灯籠とキリシタンとの関連が言われ始めたのは 大正時代のことらしい。
噂では 北野さんもこの灯籠の扱いに困られたようで 土中深く埋められたとか古道具屋に売り払われたとか聞いた。
再び同じ場所に立て直されたようだけど 天神さんはどのように思っておられるのかしら。
やっぱり ナンテンは欠かせない のだろう。
北野の天神さんへ大福梅をいただきに行ってきた。
「大福梅」 (去年)
大きな一の鳥居をくぐり きらびやかな三光門の近くにはキリシタン灯籠があるのだけど まずはお参り。
拝殿の鈴の向こうにある鏡に姿を映して 「ホームページ作りを頑張ります!」 と 天神さんと鏡に映る自分自身に誓ってきた。
デジカメで撮りながら 「写真が上手になりますように!」 と お願いした。
枚数だけは頑張って撮っているので あとは ひたすら神頼み。
鈴の上 梅鉢の御紋の上には 「立牛」。
天神さんのお使いである「牛」の像は 境内のあちこちに沢山あるが どれも 臥牛像ばかり。
ただ一頭 この牛だけが足を立てている。 「北野の七不思議」の一つ。
「北野の七不思議」 (北野天満宮のホームページ)
牛の像をなでるとご利益がある 特に天神さんは学問の神様なので 頭をなでると知恵をいただける と 京都の子供は教えられる。
お年寄りは腰や足もなでられるので いつ見ても牛の像はピカピカ。
親子牛の像もあり 親に甘える子牛が可愛い。
中庭の隅に ひっそりと建てられている。
受付でいただいた解説にも「キリシタン灯籠」と書かれているので 間違いなく 「キリシタン灯籠」
灯籠の裏側には 桂離宮 外腰掛の二重桝形手水鉢によく似た手水鉢が置かれていた。
火袋左側には丸 右側には三日月形の窓がある。
竿石は深く埋められているので分かりにくいが レリーフは見えない。
左右の膨らみの部分にも 何も彫られていない。
北野の天神さんへ大福梅をいただきに行く前に 近くの大徳寺塔頭 瑞峯院で 「キリシタン灯籠」と「十字架の庭」を拝見。
瑞峯院は 室町時代のキリシタン大名 大友宗麟が創建。
方丈は 天文四年(1535)に建造。
大友宗麟は 天正十年(1582)年に少年使節団をローマに向け送り出している。
方丈前の「独坐庭」は 寺号:瑞峯をテーマにした蓬莱山式庭園。
1961年 作庭は重森三玲(1896-1975)。
方丈裏の「閑眠庭」は「十字架の庭」とも呼ばれ 中庭にあるキリシタン灯籠を中心に七個の石組(縦に四 横に三)の流れが十字架に組まれている。
画像は 十字架の下から見上げる様子。
1961年 作庭は重森三玲(1896-1975)。
十字架の縦方向の延長線上(手前)にキリシタン灯籠がある。
白色 一重 筒~ラッパ咲き 筒しべ 中輪
別名 : 角葉白玉、盆白玉
京都府立植物園の 「臘月」
京都府立植物園の 「赤臘月」 : 臘月の実生 赤 一重 中輪
京都府立植物園の 「絞臘月」 : 白地紅縦絞・刷毛目筋 一重 ラッパ咲・平開咲 中輪
「絞臘月」は 「臘月」とは無関係の品種
南禅寺に着く頃に小雨が降りだしたので 目指す石灯籠だけを拝見してきた。
お天気が良ければ いろいろ見たい所もあったのだけど・・・
以前は北山にあった金地院を 慶長の初め南禅寺塔頭に移建したのが 金地院崇伝。
方丈は 慶長16年に崇伝が伏見桃山城の一部を家光より賜り移建したもの。
方丈南庭は小堀遠州作庭の確証あり 「鶴亀の庭」と名付けられる。
桃山時代の風格を備えた 江戸初期の代表的枯山水庭園。
その庭の中央近くに 織部型灯籠がある。
確かに 竿石には左右のふくらみが見える。
方丈前面には白砂が広がり 正面にある長方形の巨大な平石は東照宮の遥拝石。
その左には亀島があり 海に潜ろうとする亀を表わしている。
真柏(ミヤマビャクシン)のジンが素晴らしく 樹齢700年以上と言われている。
右には鶴島があり 巣篭もりの鶴を表わしている。
遥拝石の右に見える長い石は鶴の首からクチバシまでを表わし 「嘴石」と呼ばれている。
崖地を利用した蓬莱石組の背後の木々はそれぞれ丸く刈り込まれ 連なる山並みを表わしている。
素晴らしいお庭を眺めながら 大きな疑問が消えず お寺の方にお尋ねしてみた。
「どうして こちらのお庭に キリシタン灯籠とも呼ばれる織部灯籠があるのでしょう?」
「よく尋ねられますが あの灯籠の竿石には何の彫り物もなく キリシタンとの関連は無いものと 私共は考えております。」
ごもっともなこと。
そもそも 僅かでもキリシタンとの関連を疑われるのなら そのような石灯籠を庭に置くことを 「伴天連追放文」を起草した「黒衣の宰相」金地院崇伝が 許すはずが無い。
小堀遠州にしても 命を懸けてまでそのような灯籠を置こうとも考えないだろう。
やはり 織部型石灯籠=キリシタン灯籠 ということではないのだろう。
桂離宮と曼殊院のキリシタン灯籠は 「特別」 ということなのかしら。
御室の仁和寺で三つの織部型灯籠を撮った後 まだ雨は降りそうになかったので 修学院離宮近くの曼殊院へ向かって 京都を西から東へ横切る。
目的の灯籠は大きく伸びた五葉松(樹齢400年)の根元に有った。
鶴・亀二つの島のうち鶴島と呼ばれる島にあり 五葉松は鶴をかたどっている。
受付でいただいた説明には
「松の根元にはキリシタン灯籠があり クルス灯籠又は曼殊院灯籠と呼ばれる。」 と書かれていた。
今度は間違いなく 「キリシタン灯籠」
曼殊院がこの地に移ったのは明暦二年(1656年)で 桂離宮の創始者智仁親王の御次男良尚法親王の時。
そのため 建築、庭園の様式に桂離宮との類似が多いらしい。
良尚法親王は 桂離宮の「笑意軒」の扁額をお書きになっている。
こちらのキリシタン灯籠は 桂離宮の
キリシタン灯籠 その2 とは竿石のふくらみ部分の形が違っている。
前後左右の四方に円盤状の突起が見える。
良尚法親王の母である常照院はキリシタン大名である宮津藩主京極高知の息女であり この石灯籠は母からの贈り物と言われている。
曼殊院は修学院離宮の少し南にあり お庭の紅葉は葉を落としていたが 山々には彩りが残っていた。
修学院離宮にも一つキリシタン灯籠があるようで 拝見したいのだけど 桂離宮の倍ほど歩くようなので 足がちょっと心配。
今回は もう一つの織部型灯籠を拝見するために 南禅寺 金地院へ向かって南下。
曼殊院のお庭でキリシタン灯籠と共に有名なのは 梟(ふくろう)の手水鉢。
丸い鉢の四箇所に浮き彫りされている。
分かりにくいが丸い頭部の下に 尖ったくちばしが見える。
この手水鉢は小書院入り口の縁先にあるが 縁側からは少し離れた位置にあり 水鉢は傾いている。
水面に浮かぶ月を部屋に取り込むという趣向のようで 建築の様式と共に桂離宮との類似が見られる。 下の台石は亀 傍の石は鶴をかたどっている とのこと。
遠州好みの枯山水。
石橋の右に立つ背の高い石が 滝石。 そこから流れ出る白砂の水が水分石から広がり 鶴島と亀島がある。 左手の築山には三重の層塔があり 桂離宮の中島に建つ層塔を思い出した。
遅咲きの御室桜が有名な仁和寺には 何度かお花見に行ったことはあるが 今回の目的は「キリシタン灯籠」。
「仁和寺の九所明神には 三つのキリシタン灯籠がある。」
と ネットで見つけたから。
九所明神は 金堂の東の林にあり 確かに織部型の石灯籠が三つ並んでいた。
ただ 織部型は埋けこみが特徴なのに こちらの灯籠は基礎の上に乗っている。
九所明神は仁和寺の建つ土地の鎮守のために建てられたが 応仁の乱で消失。 寛永年間に再興された。
「守護神として八幡、加茂、山王、天神、稲荷、松尾、平野、小比叡、大原野、九座のご神体を勧請したもの」 とのこと。
火袋の窓は前後が四角で 左右は円と三日月形。
石灯籠は 一つとか一対が普通のように思うが こちらは三つ。
一対プラス1 ということかしら。 それとも 九社を三つに分けて 三社に一つ?
こちらの灯籠の竿石の部分には 「マリア像」ではなくて文字が彫られている。
「九所大明神 御寶前」 その下は指でなぞってみてもよくわからなかったが 「寛永?年 ?月吉日」 かしら。
織部型灯籠を全て「キリシタン灯籠」と呼ぶことには異論もあるらしい。
この石灯籠は どうなのかしら。
「朝から雨」という予報が見事にハズレ。
明るい日差しの中 鳴滝 了徳寺さんの「大根焚(だいこだき)」にお参り。
いつもながら大勢のお参り。
帰りに すぐ近くの仁和寺へ。
こちらの「二王門」は 知恩院の「三門」、南禅寺の「山門」と共に 京都の三大門と呼ばれている。
仁和寺は光孝天皇により発願 宇多天皇により仁和四年(888年)に完成されたが 応仁の乱により全山焼失。 寛永11年に再興された。 寺格は高く 筋塀は最高位の「5本線」。
「金堂」は 桃山時代に建てられた京都御所の紫宸殿を江戸時代初期に移築し 現存する最古の紫宸殿の遺構で 当時の宮廷建築を今に伝える貴重な建造物であり 国宝に指定されている。
中門の前の平らな土橋を渡ると 右手に住吉の松。
衝立松とも呼ばれて 両側の生垣と共に池の眺めを遮っている。
枝越しに松琴亭を眺めながら もう一周ゆっくりと見て回りたい・・・ ご一緒に参観した方々も同じ思いのようで なかなか足が前に進まない。
うながされて木戸をくぐると 右手に通用門。 木戸が閉じられて おしまい。
五月と十一月 二度拝見しても見逃したり撮り逃したものがあり もう一度 来年三月に予約した。
キリシタン灯籠の最後の一つを是非とも探して見つけて撮影したい。
建築や造園の知識があれば もっと違った角度から観賞できるのだろうけど 石灯籠を見るだけでも面白い。
三月までに もう少し予習をしておこう。
画像も随分集まったので 三月分と合わせて「桂離宮」のページを作りたい と考え中。
中門から御輿寄に伸びる延段の左には築山があり 織部型灯籠が立っている。
参観順路の最後に見る キリシタン灯籠 その7。
一般参観者は延段の中ほどに置かれた関守石に阻まれて それより先に踏み込むことができないので 正面からの撮影は不可能。
写真集には沓脱石の辺りから撮った写真があり マリア像がはっきりと写っている。
残念ながら 私の写真は この角度からの一枚だけ。
桂離宮 七つの織部型石灯籠(キリシタン灯籠)
1 大堰川と鼓の滝の手前 左側
キリシタン灯籠 その1
2 松琴亭への石橋の手前 右側
キリシタン灯籠 その2
3 松琴亭舟着場から見える 中島の岸辺
キリシタン灯籠 その3
4 松琴亭舟着場
キリシタン灯籠 その4
5 賞花亭から下りる途中 左手
キリシタン灯籠 その5
6 古書院前舟着場 松の根元 : 画像なし
7 御輿寄 前庭の築山 : この石灯籠
その6 は次回 来年3月に頑張って探してみよう。
中門の敷居をまたぐと 田の字型の敷石に続いて四枚の切石が「く」の字のように配置され 更に一枚の切石が方向を変えて玄関へ延びる畳石へと導かれる。
このような石の配置は 輿の方向転換のため とも言われている。
深い杉苔の中を一直線に伸びる畳石は 様々の形の切石を幾何学模様に組み合わせてある。
外腰掛前の「行の延段」 笑意軒前の「草の延段」に対して 「真の延段」と呼ばれている。
延段の 真・行・草
御輿寄 「真の延段」 切石のみを組み合わせた延段
外腰掛 「行の延段」 切石と自然石を交えた延段
笑意軒 「草の延段」 自然石ばかりを固めた延段
先月注文して 届いていたのだけど・・・ セッティング作業は ものすごく苦手。
箱のままのプリンターを見るたびに どんどん気が重くなってきた。
年賀状には間があるが 8日に六年生たちに戦争体験を話しに行くおじいさんのための資料を整えておかなければならない。
雨が降ったら頑張ろう そう思っていたら 昨夜から雨。
これ以上先送りはできないと 箱を開けた。
やっぱり何度もつまずいて 一度は「もうダメ!」と メーカーに電話をしようかと思ったが 何とか気を静めて再度チャレンジ。 近くに居れば娘に頼みたいところだったが 千葉から来てもらう訳にはいかない。
昼過ぎに始めて 何とか やり遂げた時には 暗くなっていた。
印刷のスピードは期待以上に速くて あっという間に出来上がった。
やれやれだけど こんなことでは新しいパソコンを買うのは 無理みたい。
使えるようになる前に 私の頭が爆発しそう。 困った・・・
雨が近いという予報だったので 1日に撮影に行ってきた。 と言っても スーパーのついで。
10日間で紅葉が更に進み オレンジと紅色に染まっていた。
緑一色の木々も美しいが 紅葉は華やか。
月波楼の口の間の前に据えてあるのは 水穴を鎌の刃に 右手の出張った部分を柄に見立てた 「鎌型手水鉢」。
盆栽風の小松をあしらい いけ込みの石灯籠が添えられている。
庭内の四つの茶亭は それぞれ春夏秋冬の性格を持つ と言われている。
春 : 笑意軒
前面のツツジが美しく 対岸には梅の馬場がある。
夏 : 賞花亭
消夏のための小亭であり 水蛍灯籠がある。
秋 : 月波楼
観月のための茶亭であり (刈り入れの)鎌型手水鉢がある。
冬 : 松琴亭
暖房のための石炉があり 外腰掛には(収穫を量る)二重桝形手水鉢がある。
秋の刈り入れを意味する鎌型の手水鉢に対して 冬の性格を持つ松琴亭の待合である外腰掛には 枡で収穫を量る晩秋を象徴するもの と言われている。
五月の 笑意軒
賞花亭 水蛍灯籠
五月の 月波楼
松琴亭 外腰掛 二重桝形手水鉢
月波楼の東面には池が広がり 水面に浮かぶ月影を眺めることが出来 遠く松琴亭も見ることができる。
北側の窓からは紅葉山が見えるが 住吉の松の両側の刈り込みのため 池は見えない趣向。
古書院の東面にある月見台からの眺めは 桂の庭の正面であり 池に浮かぶ中島や その左手には松琴亭も見ることが出きる。
神仙島になぞらえた中島には 七重の石の層塔や石灯籠が見え 右手に伸びる延段の先には 賞花亭の暖簾も見える。
一般参観者は月見台に上がることは出来ないが その下の苑路は歩ける。
池の向こうの眺めにばかり気をとられていたが 足元の舟着場や松の根元のキリシタン灯籠その6を見逃している。
残念なので 来年3月の参観を予約した。 今度こそ 撮影してこよう。
新御殿の南と東には広い芝庭が広がり その端には紅葉が列植されていた。
中書院の東は苔庭に変わり 芝庭とは一直線にいけ込んだ敷瓦でくっきりと区画され 建物に沿って直線的に折れ曲がる雨落ちの溝と その間を真っ直ぐに伸びる飛石が整然と並んでいる。
雨落ちは両側に小石を並べて縁をとり その間に砂利が入れてある。
新御殿と中書院の間にある楽器の間の南面には広縁があり 手摺がめぐらされ ケヤキの一枚板で作られた腰掛がある。
広い芝庭で行われた蹴鞠や弓や駒競べを見るための 殿上人の桟敷であり 高い床下は雑役に従う地下の人々の控えの場であった。
苔庭に打たれた飛石は 地下の人々の通路とされていた。
笑意軒前面には土廂に平行して建物よりも長い延段が設けられている。
ほぼ大きさの揃った耳石を並べ 大小様々の自然石ばかりを固めたもので 「草 (そう)」の形式を表わしたもの。 と 写真集の解説に書かれていた。
ここでいう「耳石」とは 「内耳にある炭酸カルシウムの結晶」ではなくて 延段の端を決めるために並べられている少し大きめの石のこと だろう。 「ミミイシ」と読むのかもしれない。 反物の両端を「ミミ」と呼ぶのと同じ意味かしら。
外腰掛前面の延段には その部分に一部切石が使われていて 「行」の延段と呼ばれている。
外腰掛 「行」の延段
笑意軒前面の延段にかかる手前に 三角灯籠がある。
雪見形の変形といわれているが 笠も火袋も中台も脚もすべて三角形の他に例の無いもの。
火袋の窓が 丸、四角、三日月形とそれぞれ形が違っているのも面白い と写真集の説明には書かれていたが 三日月形の窓は撮れなかった。
笑意軒のテーマは 「日、月、星」 と 「三」なのかもしれない。
そういえば 口の間の軒下には束柱を中心に左右に三つずつ丸形の下地窓が並んでいる。
賞花亭から下りる途中にあった石灯籠。
撮影した時はキリシタン灯籠とは知らなかったので 角度も考えず なんとなく撮っていた。
ふくらみが分かり難くて確信は持てなかったが 宮内庁京都事務所の方に教えていただいた。
深く埋められているので分かりにくいが 間違いありません とのこと。
桂離宮 七つの織部型石灯籠(キリシタン灯籠)
1 大堰川と鼓の滝の手前 左側
キリシタン灯籠 その1
2 松琴亭への石橋の手前 右側
キリシタン灯籠 その2
3 松琴亭舟着場から見える 中島の岸辺
キリシタン灯籠 その3
4 松琴亭舟着場
キリシタン灯籠 その4
5 賞花亭から下りる途中 左手 : この石灯籠
6 古書院前舟着場 松の根元 : 画像なし
7 御輿寄 前庭の築山
キリシタン灯籠 その7